須田塾は岐阜市にある創立60年の歴史を有する地元密着型の塾です。

はじめに

須田塾は創業64年。半世紀以上に渡り看板を守って来られたのは、一重に地域の皆様のお陰と感謝しております。

初代塾長須田昌与が野一色の地で最初の教室を開いた頃は、既に高度経済成長期に入っていたものの太平洋戦争からまだ20年と経っておらず、戦争の傷跡が所々に残っていました。そんな中、須田塾は所謂お座敷塾として始まりました。

開塾当初は広告も出さず、近所の子ども達を集めて、塾長の自宅の座敷に長机を並べてといった、まるで寺子屋の風情でした。その後、昭和51年に法人化し、現在の位置に移転しましたが、初代塾長は77歳で引退するまで「利益を追求するな、子どもたちにとって何が大切かを追及せよ。」とスタッフに言い聞かせておりました。

現在の須田塾の考え方やシステムはその延長線上にあります。 いま、須田塾が授業や新しいシステムを構築する上で大切にしていることSUDAイズムが、3つあります。
1つ目は、「やれば出来る」ということ。2つ目は「やり続ける」ということ、3つ目は「お手本学習」です。「やれば出来る」ということは、まずやってみるということです。やりもしないで「わからんもん・・・」とあきらめてしまっては、そこから一歩も進めません。授業を聴いて、分からなければ何度でも分かるまで先生に聞く。分かったら次は繰り返し練習する。それが「やり続ける」ということです。
難関大学に合格した塾生に「君は分からかった問題を何回復習しましたか。」と尋ねると決まって「5回はやりました。」という答えが帰ってきます。これが継続です。
そしてこれらを支えるのがお手本学習です。
物事を身につける上で最も大切なことは、基本を身に付けること。日本では古くから型という言葉で表されました。この型を習得するのが基本を身に付けるということに他なりません。須田塾には長年創業以来築きあげた型があります。これを塾生の皆さんに伝授していきます。 基本を大切にまずやってみる。そして繰り返し身につくまで練習し、結果を出す。こうした「ちいさな成功体験」を積み上げ続けることにより、自分に自信を持つことが出来るようになります。それに必要なのがSUDAイズムです。

これらの学習向上手法を小さいうちから取り入れ学習して行くことが、中学生・高校生になっても伸び続ける心と頭を作るベースになります。昨今の学習塾にありがちな、その場だけのテクニックのみを指導するのではなく、骨太の学力育成を目指しています。
このことは卒業生の声にも表れています。高校に進んだ多くの生徒が、須田塾で教えてもらったことが高校の授業で役立っていると言ってくれます。

須田塾はこれからも地域の子どもたちにこのイズムを伝え、より多くの生徒が高校、大学、そして社会人になっても伸び続ける人になれるよう努めて参りたいと考えております。そしてそのことが長年須田塾を支えて下さっている地域への恩返しだと考えております。

やれば出来る

チャレンジすれば出来ることでも、始めないことには出来るようにならないということ。問題を一目見て出来ないとすぐに考えることもせずに諦めたり、「私はやっても出来ないから~」と思って努力する前から努力することを諦めてしまった結果、本当に出来なくなってしまったという人が、世の中には少なくないものです。まずは「やれば出来る」の精神で、何事にもチャレンジして欲しいと私達は考えています。

やり続ける

何事も上手になる上で大切なことは、やり続けることです。「継続は力なり」と言われるように一つのことを始めたら出来るようになるまで、目標を達成するまでやり続ける根気強さを持つことが大切です。「私は何をやってもダメ」と良く嘆いている子がいますが、一定期間以上の努力をまだし続けていないことがよくあります。途中で諦めることなく出来るようになるまで「やり続ける」。この精神を身につけることでほとんどの事は達成できるようになるものです。この「やり続ける」能力の育成を学習指導を通じて行っていきたいと私達は考えています。

お手本学習

物事を身に付ける上で最も大切なことは、まずはルールやパターンを身につける事です。どんな事にも「こんなことをしてはダメ」とか「こうすると上手くいく」という事があるものです。このことを先生の指導の下、しっかり身に付けることが成長の近道なのです。須田塾には創業以来57年かけて築き上げてきた指導ノウハウがあります。そのことを塾生の皆さんに伝授していきます。剣道の世界で良く言われる「守・破・離※」の精神で、まずはSUDAイズムに従って先生の言う通り学習してみて下さい。そのことが身に付いた上で更なる高みを目指すため、自分に合った解法や学習法を探していってくれるなら、そのことは教師冥利に尽きると私達は考えています。

 

※「守・破・離」とは?

「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身に付けることをいう。「破」とは、師に教えられしっかり身に付けたことを自らの特性に合うように修行し、自らの境地を見つけることをいう。「離」とは、それらの段階を通過し、何者にもとらわれない境地をいう。修行をする上で、心・技・気の進むべき各段階を示した教えといえる。 [参照] 全日本剣道連盟居合道学科試験出題模範解答例、月刊剣道日本編集部

独自のものを生みだせ、という意味である。「守破離」は単に武道の世界だけの教えではない。学問も経営も技術も、すべてあてはまる。師に教えられて師に止まっていては発展はない。古武道に出発して古武道の中で止まっていたのでは、後継者としての存在価値はない。師をしのぎ、伝統を越え.親を超越して、より高い次元に発展成長してこそ文明の進歩がある。「守破離」とはその意味の言葉である。 [参照] 活人剣抜刀道、叢文社

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